背番号10番台の野手。

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私の頭の中には、1~10は野手の番号、11~21は投手の番号…と言う固定観念がある。

メジャーでは、そんな縛りはないみたいですがね。

まあ、中には11等の背番号を付けた野手がいるので何人か取り上げてみます(中には忘れているのもあるので、その辺は御容赦願います🙇)

#11

⚾大谷翔平(北海道日本ハム)

投手としても打者としても非凡な才能を持つ選手が『二刀流』を目指す風潮が目立つようになったが、それは彼の功績。

⚾大島康徳(日本ハム)

交換相手の田中富生の背番号を引き継いだ。

⚾ジョン.シピン(大洋→巨人)

『ライオン丸』のニックネームのついた個性的な髭の持ち主。

巨人に移籍した途端にスッキリとした事で驚かせた。

#12

⚾江藤慎一(中日→ロッテ→大洋→太平洋)

両リーグで首位打者を獲得した『闘将』。

中日と大洋では背番号8を付け、ロッテと太平洋では背番号12を付けた。

⚾広瀬叔功(南海)

攻走守で南海を支えた斬り込み隊長。

⚾鈴木尚広(巨人)

走塁のスペシャリストとして活躍し今年巨人のコーチに復帰したが、私生活でも『重盗』をやらかし、コーチを辞任。

⚾ゲイリー.トマソン(巨人)

当たれば大きいが空振りが目立ち『トマ損』の有り難くないニックネームが付いた。

この不確実な打撃を見抜いていたドジャースが『ポスト王貞治』を求めていた巨人に売り込んだと言う説もあるが、真偽は不明。

⚾草野大輔(東北楽天)

27歳と遅れてのプロ入りだが、野村克也元監督から『天才』と評された打撃で長く活躍した。

比較的12番は野手が付ける機会が多いみたいですね。

#13

⚾平沢大河(千葉ロッテ)

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仙台育英で活躍しドライチで入団した彼の覚醒を幕張のファンは待っている。

⚾アルフォンソ(巨人)

メッツで活躍した内野手も、巨人では活躍出来なかったような…。

#14

⚾ジム.パチョレック(横浜大洋→阪神)

前任のアドゥチがムラのある打撃で不安定だった事から確実性のある打撃を買って獲得。

⚾谷沢健一(中日)

1975年までは14番を付けていた。

1976年から背番号を41番に変更…道理で(14番は)印象にない訳だ。

1979年にアキレス腱痛で低迷するが翌1980年に復帰し首位打者を獲得。

応援に使われる『帰ってきたウルトラマン』のテーマがピッタリだった。

#15

⚾ダグ.デシンセイ(ヤクルト)

年齢的には下降線をたどっていたが、守備に関して言えば新人の長嶋一茂に取って『生きた教材』。

打撃でも2試合連続サヨナラ本塁打を打つなど勝負強い一面を見せていたのに、馬鹿なファンが「お前がいるなら一茂が出れないんだぞ」と英語で言いやがるから、ショックを受けて辞任(これは当時の関根監督が激怒したみたいですね)。

その後の一茂の野球人生を見る限り、「勿体無い事をした」と思わずにはいられない。

ちなみにエンゼルスでデシンセイから三塁のレギュラーを奪取したのが、ジャック.ハウエルと言うヤクルト絡みの因縁。

⚾ラリー.パリッシュ(ヤクルト→阪神)

メジャー256本塁打の実績を変われ、1989年にヤクルト入団。

本塁打王になるも三振の多さを見られてヤクルトを解雇。

翌年に阪神に移籍するが、膝の故障で退団。

#16

⚾川上哲治(巨人)

戦前戦後の野球界に君臨した『打撃の神様』。

引退後は巨人の黄金期に監督を務めて『名監督』となる。

⚾岡田彰布(阪神→オリックス)

「そら、そうよ」

#17

⚾カルロス.メイ(南海)

『ドラフト1巡目指名』『MLBオールスター&ワールドシリーズ出場』等の肩書きを持つ『元メジャー』。

福岡ソフトバンクなら驚かないが、南海時代での獲得は驚かされただろう。

兵役での事故で右手親指を欠損する不幸に見回れるが、それを補う打法を身に付けてメジャーで活躍し、その実力を違いなく見せて来日から3年連続3割をマーク。

ホークスはOBとして御存命な内に招待して欲しい。球場、超満員の観客数、熱気、そして当たり前のように勝つチームを見て驚くであろう。

⚾桑野穣(阪神)

『虎の杉良太郎』と言われるルックスで女性に人気のあった、左の代打の切り札。

#18

⚾シクスト.レスカーノ(横浜大洋)

1987年にダグ.ローマンを追い出してまで獲得したメジャー。

しかし前年は夫人の看病のため試合に出ておらず獲得を疑問視する声もあった。

ブランクによる試合勘の鈍りか打撃不振に陥ると「自信がなくなった」と言い退団。

外国人選手からも活躍を疑問視されていたのだから、相当だったんでしょうね。

ちなみにレスカーノの後に獲得したのがジム.アドゥチで、アドゥチに代えて獲得したのがパチョレックである…まさかだが…レスカーノを取らなかったらパチョレックは横浜大洋に来なかった⁉

ヤクルトがホーナーで当てたので、なおさら目立ってしまいましたね。

#19

⚾野村克也(南海→ロッテ→西武)

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戦後を代表する名捕手+強打者でありながら、ONと比較し敢えて自らを『月見草』と下げて反骨心を駆り立てた。

ヤクルト監督以降の活躍は『ひまわり』みたいに見えました。

前述しましたが私が忘れていたりして、ここに取り上げていない選手もいると思われるので、もし御気づきの方は御一報を頂けると嬉しいです。

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